『伝統建築と日本人の知恵』 安井清著 草思社刊
本書の著者は、京都の安井杢工務店に入社後、伝統建築の世界で生きてきたひとである。
京都の桂離宮をはじめとする、我が国が誇る伝統建築の修復、移築の経験をつづったものである。
序章 京大工の技を学ぶ大工集団『清塾』
第一章 忘れられた近代数奇屋の名建築
第二章 伝統ある京大工の家に生まれて
第三章 数奇屋の名建築との不思議な出会い
第四章 アメリカに日本の伝統建築を
の全五章から構成されており、日本の伝統建築にこだわってきたひとりの匠の人生が明解な文章で描かれている。
第一章では、大阪の『万里荘』の解体と移築について書かれている。
万里荘は、天才的な数奇屋の棟梁と言われた平田雅哉(1900~1980)がかかわった邸宅である。家主は田中太介で、田中車輌(現近畿車輛)の創設者である。昭和八年に建てられ、四百坪の建坪に日本間が二十五、洋間が三つというシロモノ。
著者はこの万里荘の解体、移築を依頼されることとなり、数奇屋造りの奥深さに驚嘆しながら、建物の構造紹介と使用されている材料紹介を行う。
『数奇屋の建物は外観からは軽快で、非常にか細くできているように見えますが、壁は地震に耐えるように、しっかりとつくられています。仕口や継ぎ手、造り方などが一般の住宅とは、ちょっと違います。たとえば、壁の中の竹材(小舞)は、倍は入っています。
~中略~この竹は真竹です。真竹と孟宗竹は似ていますが、真竹は節が二重になっていて、中国から来た一重の孟宗竹とはすぐ見分けがつきます。それで数奇屋建築では真竹を使います』
また欄間には『煤竹(すすだけ)』を使用するといった記述など、一般的にはほとんど知りえない知識が披瀝される。
第四章では、京都市と姉妹都市になっているアメリカ・ボストンにある『子ども博物館』に京都の町家を移築する顛末が書かれている。この時は、かつて駐日大使を務めたライシャワー氏等の賛同も得られ、上棟式には、神聖なる神事に感激したアメリカ人が涙ぐむシーンも描かれている。
オモテナシ、和食ブーム、日本酒への高い評価、など、日本文化への関心と評価は日毎高まっているが、日本的美のひとつの象徴である日本の伝統建築を、今から三十年以上も前にアメリカに移築し、その価値を知らしめたひとがいたとは、驚きである。
数奇屋、書院、茶室などは、数量的には少ない贅沢な建築物だが、その真髄の一端にふれるには、かっこうの書物である。
これを読んで、どこかの茶室に入ったら、見方が変わること必定。