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Vol.91 福沢諭吉について(6)

J・H のささやき VOL.91 『福沢諭吉について(6)』

                『学問のすすめ』より

 

『今我より私立の実例を示し、人間の事業は独り政府の任にあらず、学者は学者にて
私(わたくし)に事を行うべし。町人は町人にて私に事を為すべし。政府も日本の政
府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐るべからず近づくべし、疑うべからず親し
むべしとの趣を知らしめなば、人民漸く向う所を明らかにし、上下固有の気風も次第
に消滅して、始めて真の日本国民を生じ、政府の玩具たらずして政府の刺衝(ししょ
う)と為り、学術以下三者も自ずからその所有に帰して、国民の力と政府の力と互い
に相平均し、以って全国の独立を維持すべきなり』

ほんとに何度も独立という言葉が出てきますね。
国民各自が独立の気概を持ち、そして政府を恐れず、私を確立しよう、と言っていま
す。
刺衝とは、突き刺す、刺激することで、まあ政府にモノ申すべし、と言っているわけ
です。
そして国民と政府は上下関係を脱して、さらには、全国各地がそれに相応しい活動を
展開しようと。
言ってみれば、地方創生について力説しているとも読めます。
 
少し脱線しますが、明治の元老、長州閥の山県有朋は、ガチガチの国権主義者のよう
に思われますが、地方自治の大切さを強調していたひとです。

さて、日本国の独立、個人の独立を盛んに言った福沢ですが、当時の近隣諸国はどう
だったのか、つまり、シナと朝鮮のことです。
シナは欧米列強に好き勝手にされ、朝鮮は頑迷固陋で、独立も危うい。
で、あの有名な『脱亜論』が出てきます。
 
新聞の『時事新報』に書かれた論文ですが、ニ説あります。
これは福沢が書いたものではない。弟子が書いたものだ、という説。
もうひとつは、いや間違いなく福沢が書いたものだ、という説。
愚生は、弟子説ですが、脱亜論について記します。

脱亜という言葉は使用されていません。
要は、シナ、朝鮮は頑固で、どうしようもない。文明化を拒否しているから、そのう
ち欧米列強の草刈場になるだろう、同じアジア人とは言うものの、もう日本は両国の
事は放置して、どんどん先に進もう。
なんなら、欧米列強のように、強面でのぞんで、両国を支配下におくのもやむを得な
い。
とまあ、そんな内容です。で、これが、福沢の最大の『躓きの石』になっていて、福
沢を指弾する材料に使われます。
特にサヨク的なひとは、なんでもかんでも侵略主義者にするのが好きですからね。
(この論文自体は、侵略主義的ですが、当時は、それが当たり前で、欧米列強はすべ
てそうでした。後世の人間が、高みに立って、批判することぐらい楽なことはない)

本道にもどると、福沢の念頭に終生変わらずあったのは、『独立』です。
1960年代にはいって、アフリカ諸国が次々に独立しましたが、その内実はどうで
しょうか?
かなり従属的な立場にあって、独立とは名ばかりでは?
強いて言うなら、『独立度』という概念を用いて、考えるのも一手では?