建築・土木・設備製品・工法 総合カタログdbNET

〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-2-10 寺西ビル4階

Vol.101 福沢諭吉について(15)

J・H のささやき VOL.101 『福沢諭吉について(15)』

                    『学問のすすめ』より

    ~人の品行は高尚ならざるべからずの論~

『方今我国に於て最も憂うべきは、人民の見識未だ高尚ならざるの一事なりと云えり。
人の見識品行は、微妙なる理を談ずるのみにて高尚なるべきに非ず』で始まります。
国民の見識のレベルが低いことを歎いています。
また、微妙なる理というのを、難しい理屈のことと解釈するなら、しち面倒臭い理屈を
並べたてるだけでは、人間が高尚とは言えない、と言っています。
さあ、ここが厄介で、ひとはともすると、学問に長けているひとを見ると、高尚なひと
と勘違いしてしまうものです。
これが間違いの元です。
 
福沢はここで、禅の坊主を引き合いにして、えらそうなことを言っているが、なんの役
にも立たない、なんの見識もない奴らだと批判しています。
まったくその通り。
古来より、洋の東西を問わず、坊主どもの悪行三昧は数知れず、なまじ知恵があるもの
だから、人々はついだまされてしまう。一般人よりタチが悪い。
かつて、中世カトリックのローマ教皇は、聖職者でしたから、女人(にょにん)と交わ
ることを禁じられていました。
ところがどっこい、人間は生身、つい、戎を破ってしまう。
で、女人が男の子を生んでも、正直に、自分の子供だとは言えない。
そこで、あれはおれの甥(オイ)だと詭弁を弄するわけです。
悪知恵ですね。
 
甥は英語でNephew(ネフュー)、ここからNepotism(ネポティズム)という言葉が派生
して、日本では縁故主義と申します。特別な愛顧とも訳されます。
つまり、己れの子供が成人したら教会内の高位につけてしまう。
実に手のこんだ、汚いやり方ですね。
隠微な世襲制。
愚生は、イエスもシャカも大好きですが、坊主は、どうも、好きになれない。
実際、中には偉いひと(弘法大師とか親鸞上人とか明恵上人とか)もごく少数いますが、
ほとんどが我欲の亡者では?
しかし、神社で手を合わせたり、仏像を拝んだりする心象は、坊主嫌いとは別なので、
誤解なきように。
 
福沢は少年の頃、おいなり様にイタズラをして、なんの咎もなかったので、人々の宗
教的な迷妄を笑いました。
いや、迷信にとらわれた人々を侮蔑したのではなく、人間の無知、理由のない恐怖心
につけこんだ、神職、坊主どもの『商売っ気』を嫌ったのでしょう。、
 
 さて、福沢は、
『しからば、即ち人の見識を高尚にして、その品行を提起するの法如何すべきや。そ
の要訣は事物の有様を比較して上流に向い、自ら満足することなきの一事に在り』と
言います。
しかし、これではよくわからない。
より高い目標をもって努力せよ、と言っていますが、具体的な処方箋とはなっていな
い。つまり、さすがの福沢でも、人間の品行、見識を向上させるにはどうしたらよい
のか、明言できなかったのだと思います。
これは人間にとって、永遠のテーマですから、相当難しい。
愚生なんぞにはとても手に負えない。
 
基本は、家庭の文化力でしょうか。
学校のお勉強ではどうにもならない。
ただ、学問を教える教師の圧倒的な学識、わけへだてない態度、おおらかな有様、ある
いは威厳ある面持ち、そうしたものは、人間性の陶冶になにほどか良い影響を与えると
思います。
そうした意味では、小学校、中学校、高校の先生の仕事は重要です。
学問と品性が合致したのは、孔子様でしょうか?

福沢はこの章の後半で、インド、トルコのことを、かつては大国だったが、他国と比較
することを怠って自国の有様に満足した結果、今ではヨーロッパ人の食い物にされてし
まっている、どうしようもないと慨嘆しています。
日本は、常に外国との比較に眼を配っているので、凋落することはないでしょう。