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Vol.81 石垣考(1)

 J・H のささやき VOL.81 『石垣考(1)』

こんにちは、ジェームス・ホントです。

      『大震災にも耐える』
 
私事ですが、かつて神戸の東灘区御影町に、はるかに年長の尊敬すべき銀行出身の
御仁がいらして、Kさんといたしますが、そのKさんのご自宅を訪れたことがあり
ます。あの大震災のあとです。
石垣に囲まれた豪壮な家で、聞けば、Kさんの父君は戦前・戦中住友本社の理事を
されていて、昭和9年に神戸に居を構えたとのこと。
そんな昔に築かれた石垣でしたが、大震災があったにもかかわらずビクともしてま
せんでした。
あの時は、心底感心しました。昔のモノは凄い、と。

石垣、ときくと、誰もが真っ先に城の石垣を思い浮かべますが、治水、治山にも多
数使われています。
愚生の近所の崖にも散見されます。
 
ご存知の方も多いと思われますが、江戸時代の宝暦年間(1750年前後)に、濃
尾川の改修に薩摩藩士が狩り出されています。幕府の政策でした。
『薩摩藩は奄美大島の砂糖貿易で財政が豊かだから、厳しい要求をして弱体化させ
てやろう。雄藩はいまのうちにつぶしておいた方が無難だからな』
そうとはわかっていても、幕府からの要請なので、さすがの薩摩藩も拒否できず、
難工事に着手しました。
(あまりの無理難題に幕府と一戦交えるかとの強硬論も藩内から出ましたが、君臣
相擁して、ここは従うしかないと号泣したと伝えられています。 この時の幕府憎
しが、倒幕運動の一因になったという説もあります)
工事は堤防修築でしたが、延べ長さは120kmで、完成までに一年以上かかって
います。
延べ人数は40万人、45万両の出費、五十名の自殺者と二百人以上の病死者が出
ました。
工事完成の数日後、工事総奉行の家老の平田靭負(ひらたゆきえ・1704~17
55)は割腹しました。
死者が多数出たことで責任を感じていたのです。
この事はずっと伏せられていましたが、明治になって広まり、人々の紅涙を絞りま
した。『孤愁の岸』(森繁久弥主演)という演題で舞台化されています。

    『博多湾の石築地』

また蒙古襲来の時にも、福岡の博多湾に石垣が設けられています。
当時は石築地(いしついぢ)と呼ばれていました。

モンゴルはいきなり日本を攻めてきたわけではありません。
使者を五名、長門国の室津(現・山口県下関市)に派遣しています。ところが鎌倉
幕府はその五名を、鎌倉の龍口で斬首してしまいました。この時、五名の使者の中
に、二人の回教徒(イスラム教徒)がいました! モンゴル帝国は官僚にイスラム
教徒を多用していました。いや、知らなかった!

それから我が国は、スワ一大事ということで、九州の博多湾に石垣を築きます。
敵の上陸を防ぐために、九州のサムライたちは大童でした。
その後のことは、皆さんご存知ですね。
そうです、神風が吹いて、敵の船は木っ端微塵となりました! ザマアミロ!
今は、モンゴルとは仲が良いですよ。

    『フリーメーソン』

話が飛ぶのですが、フリーメーソンという組織があります。
世界に400万人の会員(ブラザー)がいるそうで、組織の実体は不明ですが、一時
期面白おかしく『世界制覇を目指す秘密結社』などと言われていましたが、『いや、
ただの友好団体だよ、ただ秘密が多いので妙な誤解を受けるけど』というコメントが
真実のようです。
で、この石工(メーソン)ですが、発生は、古代エジプトのピラミッド建設にかかわ
った石工がベースになっています。
(アメリカの1ドル紙幣の裏には、ピラミッドの絵が描かれています。なぜドル紙幣
にピラミッドが? そこにはすべてを見通す目が描かれています。不思議な図柄です。
機会があったらご覧下さい)

この場合のフリーは、自由という意味ではなく、『免除』という意味で、様々な制約、
義務から『免除されている石工』です。なぜ特権があるのか?
ヨーロッパは住宅、橋、建物、教会などほとんどが石造りです。当然、石工の社会的
地位は高く、その技術は伝承され、それにともなって組織は膨れ、隠然たる力を持つ
ようになります。で、魅力ある組織ということで、職業にかかわらず、時間の経過に
ともなって様々なひとがこっそりと会員になって行きます。
アメリカの初代大統領のジョージ・ワシントンをはじめ、セオドア・ルーズベルト、
フランクリン・ルーズベルト、トルーマン、ジョンソン、フォード、そのほか何人も
の大統領が会員名簿に名を連ね、前大統領のブッシュ氏も会員です。
日本にも五百名程度のイスラム教徒がいるように、フリーメーソンも何人か会員がい
るはずですが、秘密のベールに覆われていて、わかりません。
愚生は会員ではありません!

我が国では、『穴太(あのう)衆・役』がそれにあたりますが、あのう、石工という
職能集団が歴史に登場するのは、織田信長の安土城の工事からです。
(余談ながら、東京裁判で死刑を宣告され、絞首刑で亡くなった元総理大臣の広田弘
毅は福岡県の石工の子供でした)


 参考図書 『ものと人間の文化史・石垣』 田淵実夫著 法政大学出版局
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