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Vol.103 福沢諭吉について(17)

 J・H のささやき VOL.103 『福沢諭吉について(17)』

                                                  「学問のすすめ」より

第14編は、①『心事の棚卸』(たなおろし)と②『世話の字の義』の二つに分かれて
いますので、まずは①から。
 
『人の世を渡る有様を見るに、心に思うよりも案外に悪をなし、心に思うよりも案外に
愚を働き』で始まります。
これは、誰でも、自分の胸に手を当ててみれば、そうだなあ、あるよなあ、と納得する
はずです。
愚生などは、いい歳こいて、日々、この連続です。
ボクシング連盟の某会長、報道が事実なら、絵に書いたような『悪』と『愚』の権化。

『心に企てるよりも案外に功を成さざるものなり。いかなる悪人にても生涯の間勉強し
て、悪事のみをなさんと思う者はなけれども、物にあたり事に接してふと悪念を生じ、
我自ら悪と知りながら色々に身勝手なる説を付けて、強いて自ら慰る者あり』
 
悪事を行っても、なんだかんだと理屈を付けて、言いのがれ、自分を慰める。
これも、人間の悲しい性です。
この章では、上記のような例を列挙して、人間のどうしようもなさを嘆じ、では、その
処方箋はどうしたらよいのか、と記していますが、少しわかりづらい。
 
『人生の有様は徳義の事につきても思いの外に悪事をなし、知恵の事についても思いの
ほかに愚を働き、思いの外に事業を遂げざるものなり。
この不都合を防ぐの方便は様々なれども、今ここに人のあまり心付けざる一箇条あり。
その箇条とは何ぞや。
事業の成否得失に付き、時々自分の胸中に差し引きの勘定を立ることなり。
商売にていえば、棚卸の総勘定の如きもの是なり』
つまり、マメに、自分の行動、心の動きをチェックしろ、ということなんでしょうか?
悪事、不祥事の張本人は、これをする暇がないのでは?
ドップリとその世界にはまって、自分を省みる余裕がない。
 
棚卸は、普通は、年に一回か、半年に一回ですよね。
膨大な商品がある倉庫の棚卸は、昔は大変でした。
現在、棚卸はいかになされているのか、愚生にはわかりません。
 
『流れ渡りにこの世を渡りて、かつてその身の有様に注意することなく、生来今日に
至るまで我身は何事をなしたるや、今は何事をなせるや、今後は何事をなすべきやと、
自らその身を点検せざるの罪なり。
故にいわく、商売の有様を明らかにして後日の見込みを定むるものは、帳面の総勘定
なり、一身の有様を明らかにして後日の方向を立るものは、智徳事業の棚卸なり』

日々の流れに身をまかせて、無意識的に生きるのではなく、自分の過去と現在を点検し、
さらに未来において何をなすべきか、それを考えろ、と。、
商売でも日々の心の持ちようでも、常に将来を見据えながら、来るべき日のために用意
しておけ、そのためには『心事の棚卸』が重要である、と結んでいますが、特別な事を
言っているわけではない。
現在なら、ごく当たり前のことですね。
明治の初めには、たとえば、商品Aが売れ筋と判断すると、先を考えずに、それを大量
に仕入れて、在庫過多・超過に陥り、商売があがったり、ということが多発していたの
でしょうか?
でも、こういうことって、今でもありますよね。
先を読むのは難しい。
  
この論の良さは、心の望ましい有様を点検するに、『棚卸』という卓抜な比喩を使うこ
とによってわかりやすく諭している点にあり、これは実践倫理に関する忠告ですね。