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Vol.87 福沢諭吉について(2)

J・H のささやき VOL.87 『福沢諭吉について(2)』(『学問のすゝめ』より)

こんにちは、ジェームス・ホントです。

『日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を
ながめ、海を共にし、空気を共にし、情合(人情)同じ人民なれば、ここに余るもの
は彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え、互いに相学び、恥じることも
なく、誇ることもなく、互いに便利を達し、互いにその幸を祈り、天理人道に従いて
互いの交を結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス、
アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては、日本国中の人民一人も残さず命を
棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり』

人間は世界中あちこちに住んでいるが、同じように天然自然の下で暮らしていて、人
情は誰でも持ち合わせているもんだ、だから日本人も欧米人も同じだ、ということで
す。
そして、こちらに余ったものは、相手に渡し、相手の余ったものは、こちらでもらう。
つまり、貿易のことを言っています。
国内需要が限られているのに、ある2国が同じものを大量に作って、無駄をだすよう
な不合理なことはするな。こっちが、たとえばワイン製造が得意なら、余った分を相
手に売り、相手が綿製造において優位なら、綿は相手から買えばいい。不必要な競争
はするな。

16世紀、ポルトガル、スペインを追い抜き、貿易のトップランナーに躍りでたのは
オランダでした。
当時は海商(時には海賊になる)が遠いアジアに進出して莫大な利益を得ていました。
輸入商品はアジアの胡椒、スパイス(チョウジ、ナツメグなど)で、肉料理には不可
欠です。
その後、オランダを駆逐して貿易の覇権を握ったのは、イギリス東インド会社でした。
イギリスはインド産のキャラコ(薄手の木綿)に夢中になりました。
キャラコという名称は、アラビア海に面したインド西岸をずっと南に下ったカリカッ
ト(現コーリコード)という地名からきています。
ここにあのバスコダ・ガマが1498年に到着しています。

驚くべきことに、欧米人は1600年頃まで木綿を知らずにいたのです。
やがてイギリスでは『キャラコ論争』なるものが沸騰しました。
これでは国内の毛織物業者が衰退する、ようやく成長の途についた絹織物業者も衰退
する、キャラコの輸入を止めるべきだ、制限すべきだとの意見が持ちあがったのです。
つまり保護貿易政策で、『キャラコ禁止法』が成立しますが、キャラコの輸入を止め
ることはできませんでした。
しかしイギリスは独自で綿布の製造に成功し、これが産業革命に結びついて行きまし
た。水力の有効利用、蒸気機関の発明、発展がそれを一気に押し進めました。
産業革命の動因は『木綿から始まった』という見方もあります。

良いモノが入ってくるのを防ぐことはできません。
日本の製品が海外で売れるのは、それが良いモノだからです。
たとえば、アメリカのオレンジ、とても美味ですが、硬い皮をむくのが面倒臭い。
みかんは簡単にむけます。
いくら横暴な大統領でも、日本人よもっとオレンジを食えとは言わないでしょう。
皮が簡単にむけるようなオレンジをアメリカが作ってくれるなら、どんどん食べます!
 
福沢は、貿易の重要性を、強く訴えています。
坂本龍馬もさかんに言ってましたね。
なぜなら、日本は『鎖国』国家でしたから。
(ところで、この鎖国、歴史の教科書から抹消すべきだという意見が出ているそうです。 
驚きました、つまり、日本には長崎の出島があったではないか、鎖国なんかしてないよ、
という見方です。これは難しいテーマで、国家が全方位的に開いているのか、一部だけ
開いているのか? そこをどう判断するか? それによって認識が変わってきます。
読者はどう思われますか?)

トランプ大統領は、ディール(取引)がお好きなようですが、貿易はトレードです。
現在はあまり使われませんが、昔はよくトレードマークという言葉が使われました。
たとえばいつも葉巻を吸うひとがいると、葉巻はあいつのトレードマークだよ、なんて。
これの由来は、イギリスの貿易商が、うちは貿易商ですと『トレード』と書かれた看板
を店の軒先に出していたからだそうです。
イギリスの有名な貿易会社の横浜支店で実際にきいた話です。
 
貿易で最悪なのは奴隷貿易です。これは誰も異論がないですね。
欧米列強はおぞましい奴隷貿易とその労働力で莫大な富を得ました。
南米ベネズエラの北方にトリニダードという、大陸にへばりついたようなごく小さな島
があります。
この島を独立に導き、初代の首相になったのが歴史学者にして政治家のエリック・ウィ
リアムズです。
彼は貧しい郵便局員の子でしたが、イギリスのオックスフォード大学で学び、『コロン
ブスからカストロまで』(1970)という歴史書を書きました。
要点は、イギリスの資本主義が発達したのは、奴隷貿易と奴隷の労働力だ、『奴隷解放』
は人道的見地からではなく、ただ儲からなくなったから廃止したんだ、つまり経済原則
でそうなっただけだ、と言いました。
『我らは大英帝国、資本主義を独力で発展させた国』だと胸を張っていたイギリス学界
はウィリアムズの学説を無視しました。まあ、当然ですよね。
『おまえらの繁栄の礎を作ったのは俺らだ』と黒人から水をかけられたのですから。
現在、ウィリアムズの学説は評価を高めています。

福沢は、まさか日本人が奴隷となるとは考えていなかったでしょうが、キチンと独立し
ないと、欧米列強の意のままに操られるぞという恐怖心を持っていたのです。
ですから、独立、独立としつこく言ったのです。
 
『道のためには……命を棄てて国の威光を落とさざるこそ』
この言葉には、福沢のサムライ精神が躍如として現れています。
この場合の『道』は道理、義、正義でしょうか?
恥辱を受けたなら、相手が強大でもひるむことなく戦え、その結果滅びても構わない。
つまりは、それほどの覚悟の上に立たないと、国の独立は危うい、との危機感がしから
しめた激烈な言葉だと思います。
世界中が欧米列強の植民地という時代を考慮すれば、国民に奮起をうながすこうしたナ
ショナリズムは、健康的で当然ではないでしょうか?
  
欧米の書物から思想を構築した福沢でしたが、心底にあったのは、若年時に蓄積された
膨大な和漢の教養だったのです。
ですから、ふとした拍子に、こうした激しい思いが顔を出します。
ここが福沢の面白い所です。