建築・土木・設備製品・工法 総合カタログdbNET

〒101-0061 東京都千代田区三崎町3-2-10 寺西ビル4階

Vol.77 材木考 楠(2)

J・H のささやき VOL.77 『材木考 楠 クスノキ(2)』
こんにちは、ジェームス・ホントです。
楠(樟)からとれる樟脳は、いつから日本にあるのか?
つまり、樟脳業はいつはじまったのか?
これも諸説あり、『真実』は容易につかめませんが、鹿児島県に『樟脳製造創業之地』
の石碑があることから、同地が発祥の地と見てよさそうです。17世紀の後半です。
では、その前は? 伝によると、朝鮮半島の高麗から来たらしい。さらにそれ以前と
なると、芒洋として掴みがたいものがあります。
エジプト、近東、南洋、そして中国と雲をつかむような話になりますが、聖書やコー
ランにも樟脳らしきモノの記述があります。
ただそれと本格的な樟脳の製造の関係となると、よくわかりません。
とにかく古いんだよ、ということで、起源論はオシマイにします。            
   『龍脳』
楠の効能は、昔から各地で知られていましたが、資本主義も近代工業も発達していな
い時代、日本人はその普及に鈍感でしたが、これが江戸時代に、ヨーロッパに伝えら
れ、今度はそれが逆輸入されて、樟脳を評価する声が高まります。
そして明治の御代になって、樟脳は飛躍的に生産量を増やしますが、その間、龍脳と
いうききなれない化学物質が歴史に登場します。
 
藤沢薬品工業、この社名をおぼえていらっしゃる方は多いのでは?
現在は山之内製薬と合併して、アステラス製薬となっていますが、藤沢薬品の創業者
は大阪の藤沢友吉で、藤沢は明治36年に、樟脳を原料に、化学的工程によって龍脳
を製造しました。龍脳はボルネオ樟脳とも呼ばれ、当時は香料、白粉、歯磨き、石鹸
などに使用されていました。
 
   『樟脳専売法』
一般的にイメージされる防虫剤としての樟脳は、明治に『樟脳専売法』が作られ、国
家が独占することになってから、飛躍的に生産量が増えました。
専売と言えば、塩、タバコと同じです。
樟脳は外貨を稼ぐための重要な輸出品となり、輸出業者には外国の貿易会社とともに
三井、住友が名を連ねています。あれ三菱はいないのか、と思われるかも知れません
が、三菱の創業者の岩崎弥太郎は楠の大生産地、土佐の高知の出身、これに眼をつけ
ないわけはありません。
明治の初期にはすでに樟脳製造に着手、その後、事業を譲渡していますが、それまで
に伐採された高知の楠の量は膨大なもので、現在なら環境破壊もいいところ。豪商の
やることはケタが違います。
 
松のコーナーで松根油のことをご紹介しましたが、楠の根からとれる油も、戦時中は、
ガソリン代用として脚光を浴び、政府は『樟脳油緊急増産対策処置要綱』なるものを
作成、樟脳油の生産設備の増強を図りました。しかし、実際に使われたのは、ごくわ
ずかでした。ああ!
 
台湾はかつて日本の植民地だったので、樟脳の製造が盛んでした。旧5千円札の肖像
画になっていた新渡戸稲造は台湾総督府の技師を務めていましたが、
『台湾名物 何々ぞ 砂糖に樟脳 ウーロン茶 それでお米が二度とれる』
と唄を作っています。芸者遊びが好きで、よく芸者に歌わせていました。いいご身分
で。
  『建材と工芸品』
 
楠を使用した建築はかなりありますが、楠は太さはあるが長さがとれないので、城や
寺院の一部分にのみ使われています。たとえば神社の柱材で、厳島神社の末社である
豊国神社。
これは豊臣秀吉によって創建されたもので、通称、千畳閣と言われ、太い柱が116
本使われています。そのうち、楠は24本で、その他はツガ、ヒノキ、スギとなって
います。
つまり単体で使用されることはほとんどなく、他の木と抱き合わせで使われています。
その他、針箱、硯箱、宝石箱の工芸品としては神奈川県、静岡県の『寄木細工』が有
名です。
 
また富山県では、重厚な日本間には楠を使うことが好まれ、特に欄間には、楠が一番
多く使われています。北陸は豪雪地方のため柱の太い立派な家を作り、座敷には華麗、
華美な欄間を設けることが、一種のステータスであったようです。
欄間、現代の住宅で見ることは、滅多にないですね。さびしい!
  『南方熊楠と横井小楠』
柳田國男と並ぶ民俗学者で、粘菌(年金ではありません)類の研究家でもあった南方
熊楠(1867~1941・みなかたくまぐす・凄い名前ですが本名です。昭和天皇
の侍講を務めたこともあります。ロンドンに留学中、イギリス人をぶん殴ったという
伝説が残っています)は楠の多い紀州・和歌山県の出身で、兄弟九人の全員の名前に
『楠』の文字がついています。
この字を人名につける伝統・風習は紀州のほか土佐にも多く見られ、また熊本にもあ
ります。
西郷隆盛も一目置いたと言われる肥後・熊本の横井小楠(よこいしょうなん)は、幕
末の尊王攘夷の時代に逆行した『開明論者』でしたが、その開明性ゆえに恐れられ、
暗殺されました。坂本龍馬と同様に、生存していたら、明治国家は違ったものになっ
ていただろうと言われる大人物です。開国、貿易の利を大いに論じていて、スケール
の大きな国家論は福沢諭吉を思わせます。惜しいひとでした。
小楠のお弟子さんに法学者の井上毅(いのうえこわし)がいますが、井上は伊藤博文、
金子堅太郎、伊東巳代治とともに、明治憲法を作ったひとりです。伊藤博文は、その
頭脳に恐れをなしたと伝えられています。つまり、『こいつに勝手にやらせたら、憲
法草案の第一人者の名誉はおれではなく、後世、こいつのものになってしまう、それ
は阻止しなければ』
さて、終章です。
いまは楠が美しい時期です。照葉樹をゆっくりと見あげて、夏目漱石の 
 『樟の香や 村のはずれの 苔清水』と口ずさんでみましょう。
そして、ある思いを込めて
 『楠多き 熊本城の 若葉かな』(京極杞陽)
 参考図書 『ものと人間の文化史・楠』 矢野憲一・矢野高陽著 法政大学出版局